25、札幌山形県人会と感謝の気持ち(最終編)
  「カムバック・サーモン」運動で豊平川に鮭が遡上するようになってから30年近くなると思いますが、環
境問題に本格的に取り組んできた成果として拍手を送りました。孵化した稚魚が小学生達の手で豊平川
に放流され北洋海域を回遊して4〜5年ほど経つと間違いなく生まれた川に戻ってくる・・・・・どんな仕掛け
で戻ってこれるのか、科学的には完全に解明されてない不思議なことが何万年も続いているのでしょうか。
人間も加齢と共に故郷が懐かしく想い出されて、1年1年その想いが強くなって来ます。「カムバック・カント
リー鶴岡」鮭のように義理堅くは出来ないが、特別な会話を交えたり賑やかな催事でなくても同郷の人が
周りにただ居るだけで安堵な気分になれる。そんな時に札幌山形県人会に入会しました。各区毎に編成
された組織で400名程の会員規模で、当初は日程が合えば行事に参加する程度でした。退職したとたん
に、あれこれの役回りを命じられ今は幹事長として色んな行事の進行役を主に担当しております。年間の
全体行事は4月に「年次総会」をホテルロイトンで開催します。200名強の参加者で山形県知事や道内各
地山形県人会(稚内から函館まで21県人会)の代表者を交えて北海道連合会、総会、懇親会と挙行され
ます。会員有志の踊り(花笠音頭普及会)やカラオケなどで盛り上がります。
  5月には「観桜会」で札幌近郊の温泉施設を毎年変えながら約80名程の参加を得て開催しております
が、温泉にゆっくり入浴した後は花より団子で山形の銘酒をいただきながらカラオケ大会がメインになりま
す。秋(10月)の「いも煮会」はアサヒビール園はまなす館1階ホール貸切りで家族会員を含めて約250名
の大宴会になります。里芋と肉(米沢牛)は山形から取り寄せて、直径1.2Mの鉄の大鍋で仕込んだ味は
抜群です。持回り(3区チーム)で担当を決めて朝8時から里芋の皮むきから始まりますが量が70Kgです
から大変です。隠し味は日本酒6升で指名された鍋奉行が采配を揮います。同じ「いも煮」でも地域によっ
て若干ながらレシピが違うそうですが、鍋奉行の按配でその年の味付けが決って、全員が美味しい美味し
いと言って大鍋を空にします。会員から寄進頂いた山形の銘酒15本があっという間に空になると恒例の
カラオケ大会です。いつもそうなのですが終わる頃になって元気が出てきて俺にも歌わせろ・・・とゴネ出す
おトラさんには手を焼いています。
  ゴルフ愛好者による「最上川ゴルフ会」は約60名の会員数で、江別石狩川GCをメインに年5回程度
の親睦コンペを開催しております。80歳代、70歳代、60歳代のメンバーが殆どですが元気一杯ナイスシ
ョット、優勝を目指して競い合っております。賞品は山形県産の米、そば、うどん、煎餅などで家族にも好
評のようです。 青木司法書士の青木先生がゴルフ会の会長ですがご夫妻で参加されております。青木
会長は80歳ですが会長方針でノータッチプレイ、オーケイパットなしの基本ルールで大いに刺激を受けな
がら楽しんでおります。会員も高齢化しておりますが、年間行事を楽しみにしながら親睦を深めております。
 ここで山形のPRを少々させていただきます。各ホームページを是非ご覧になって下さい。
  ◎山形県のホームページ  http://www.pref.yamagata.jp/
  ◎山形県観光物産協会のホームページ   http://www.yamagatakanko.com/ 
  ◎鶴岡市のホームページ  http://www.city.tsuruoka.yamagata.jp/  
 北1条西2丁目(市役所の北側)経済センタービル5階に山形県事務所があります。資料を多数用意して
ます。まだ全国的に知られていない観光地や名産(特に日本酒:地元還元酒、食べ物)がうずくまっており
ます。大都市から姿を消した古くて新しい発見が出来ると思います。是非一度、足を運んでみては如何で
しょうか。千歳〜仙台便をご利用頂き、2泊3日周遊コースで殆ど観光できます。天地人の米沢から最上川
流域、出羽三山の庄内へと、山あり海ありの温泉と豪華田舎料理がお待ちしております。
<山形県日本一のご紹介>
滝の数。ラーメンの消費量。即身仏(ミイラ仏)の数。共働き所帯の比率。さくらんぼ(佐藤錦)、食用菊
(もってのほか)、えだまめ(だだちゃ豆)、西洋梨(ラ・フランス)の生産量。etc・・。
  感謝の気持ち
  小池会長から春夏秋冬に寄稿するようご指示があってから暫く辞退しておりましたが、粘り強いお勧め
を頂き小生ごときに本当に出来るのか不安と僭越感が入乱れているなか・・・・・引受けさせて頂きました。
いざ始めだすと改めて文才の無さを痛感、生まれてからの自分史になってしまいましたが、色々と整理しな
がら進めていくうちに夫々の想い出を再確認できて感慨を新たにした次第です。この機会を与えて頂いた
小池会長に改めて御礼を申し上げます。
  山形で生まれ田舎育ちで世間知らずの男(山猿)が天職として勤めた三洋電機を舞台に多くの方々と
巡り会い素晴しい体験と想い出を数多く残すことが出来ました・・・身勝手な我がまま、軽薄無知で未熟さ
丸出しの若輩者をご指導ご支援頂いた全ての人々に改めて心から感謝申し上げます。
  人類の歴史の中で一番安定した時代に恵まれたことにも感謝です。自ら希望した北海道で順繰り人生
を過ごせる事(山親父)にも感謝です。
  数々の出来事がほとんど偶然に起きて、それで縁が出来て、悲喜交々の日々を積み重ねて、一時代
を経て今に至っているのが現実です。
  表現出来なかった事もまだまだ沢山多くありますが大事に一緒に残しておきたいと思っております。
ばばはん、ばばちゃんの足元にも及びませんが、少しづつ近づけるよう歩んで行きたいと思っております。
巻さんに紹介を頂いた上野幌神社の活動も体力ある限り続けていきたい。今度は自分が子供や孫や地域
の安寧を願って、感謝の気持ちで活動できる喜びをじっくりと味わってまいりたいと思っております。
  恥ずかし乍ら、25回に亘ってご覧頂いた皆様に御礼を申し上げます。そしてホームページ掲載にあた
りまして最後までご協力頂きましたPCクラブの峯吉リーダーに心から感謝を申し上げ締めくくりとさせて頂き
ます。
  長い間、お付き合いを賜りまして有難うございました。これからも宜しくお願い申し上げます。
最終編・・・
長い間ご愛読ありがとう御座いました。・・・