19、再び北海道へ・・・途中、父の葬式を
  4月頃、中田(故人)さんが北海道転勤の打診にこられました。元々転勤(社命・天命)に一切逆らわな
い信念でおりましたし、本社勤務より営業所勤務が肌に合う方でしたから文句なしに了解しました。辞令が
出て転勤の準備をしている最中、父親が亡くなった報せが入り予定を早めて引越し作業を終えて大阪駅
から夜行列車(日本海)で実家に向かいました。夜遅いのに大勢の皆さんがホームまで見送りに来てくれ
て有難いやら申し訳ないやら大変複雑な心境でした。大阪での想い出や、これからの仕事の事や父の事
やら考えながら福井あたりまで通り過ぎる外の灯りをぼんやりと眺めておりました。
  大雨で線路が水につかり新潟駅で大幅に遅れが出てしまいました。ホームから兄に電話すると「均が
着くまで出棺しないで待っているから気をつけて来い」という事でした。ようやく実家に着いて父との別れも
できて火葬場へ・・・・煙突の煙を見上げながら隠れて一人大泣きしました・・・一気に想い出が溢れて・・。
溜っていたストレスが爆発したのでしょうか・・・・・前にも後にも、あんなに泣いたことはありません。父は書
画が好きで若い時から水墨を主とした漢詩や水墨画(特に達磨)を色紙や掛軸に画いては親戚や知人に
贈っておりました。墨の濃淡や筆勢、字形など独自の作風を追求していたようです。
  郵便局の宣伝用ポスターや看板の制作や近所の石屋さんから墓碑の清書を頼まれたりして酒代を稼
いでおりました。父の影響からか下駄屋(祖母の実家)の進ちゃん(私の鳩子:73歳)が金沢美大を出て高
校の絵の先生になり今は地元美術協会の世話役で活躍している。
  父は酒が大好きでした(安達家のDNA継承)。たまに帰省すると明るいうちから地酒を出してきて自慢
の酒器で一杯やりました。だだちゃ豆、みんでん茄子の漬物、南禅寺の奴豆腐などが肴で、少ない会話
でしたが身振り・手振りで十分に通じ合っていました。上機嫌の時は扇子や手拭を使って自己流の踊りを
見せてくれました。私の転勤先には母と来てくれました。京都にいる時は特急白鳥で来て、地酒10本(1
升瓶)入りの木箱をデッキから引き摺り出そうとしている・・・慌てて列車からホームに降ろした。息子に地酒
を飲ませたくて持ってきたと・・・・・良くJRが乗せてくれたものだ。母は若い時から乗り物酔いがひどく殆ど
旅行らしい事をしてなかった。父の30年勤続表彰で仙台に出掛けたぐらいでしたが、子供達が就職して
からは父が少々強引に連れて歩いた。そのお陰で京都・奈良・大阪・名古屋・伊勢などを見せることがで
きた。列車の窓から景色を眺めながら一杯かたむけることがこの上ない楽しみだったようです。
貧乏な息子に旅費が掛からないよう転勤に合わせて亡くなってくれたようで、何とも悲しく複雑な気持ちで
父の葬儀を転勤の途中で済ませて、再び北海道に向かいました。
次回につづく・・・
次回は 1月20日更新予定・・・