18、再び大阪勤務と西国三十三所観音霊場巡り
  昭和55年7月の暑い日に家族帯同(長女が小4、次女が小2)で奈良県の法隆寺の近くに転居しまし
た。住居は私と交代した方の庭付きの立派な戸建住宅でしたが、高速道路の近くのため深夜の騒音には
悩まされました。職場は大阪の土佐堀社屋、仕事は住設会社企画部ポンプ企画課で販促担当でした。
元北海道組の水野さん(故人)が総務部長、岩永さんが企画部次長(後に部長)で活躍されていました。
通勤は7時頃のバスでJR関西線の王子駅まで行き、JRに乗り換えて天王寺まで行き、地下鉄御堂筋線で
大国町まで行き四谷線に乗り換えて肥後橋に行き又バスに乗り換えて土佐堀まで行くコースです。早く出
勤している人たちは会社の前にある喫茶店にタムロして本音と建前を混同させながら大阪弁丸出しで情報
を探り合っていたようですが、私の性分から中に入ることが出来ませんでした。
  全国の営業所を回ってハッパを掛ける役でしたが苦手でした。社内営業が大嫌いで各地の代理店や
販売店への同行営業を主体に進めておりましたが代理店や営業部員の要望が痛いほど判るので本社の
会議では営業所の視線(立場)で発言するためか本社マンとしては失格でした。営業所の皆さんとは担当
地区の市場規模をどのように捉えて目指すべき販売網の姿をどのように描くかを良く話しあいました。
工業会統計や通産統計から都道府県別出荷数は出てきますが、市町村単位にダウンサイジングした場
合に空白地域がないのか、強い地区と弱い地区との相違点など出来るだけ具体的な目に見える目標を設
定しているか・・・日頃の刺激策を自分でセットして等々・・・どんな商品でも地域ごとの総需要数と年間販
売可能台数を算出して現状とのギャップを埋めていくのがセールスマン・・・前年比アップだけの計画立案
では必ず先々詰まって便秘になってしまう・・・自分の体験をベースに話し合いました。
  冬になると仙台時代に負傷(東北自動車道で
追突されて運転車両が大破した交通事故)した頚
椎捻挫の痛みが再発し、昼休時間に近くの整形外
科で治療を受けることになりました。今迄で一番心
身ともに調子が悪い時期でした。丁度その頃、先輩
から「西国33所観音霊場」について話を聞いて何
か懐かしい思いで家族と休日を利用して参詣する
事になりました。大した信仰心も無く始めたのです
が、日本史に登場する由緒ある古いお寺ばかりで
1200年以上の営みを体感すると同時に自然
(風光明媚な絶景)と文化(国宝級の仏像や建物)
西国33所を巡り満願成就を果たした華厳寺山門
が上手に融合している伝統的な奥深さに興味を覚えるようになりました。子供達を遊園地とか動物園に連
れて行かないで私の勝手で殆どの休日をお寺参りに付き合せていましたが遠足気分でついて来てくれたよ
うです。1年で約半分、参詣できた頃に北海道勤務となり、長い間中断しておりましたが平成19年の春から
再開でき、秋には家内と4日間で17所の巡礼を強行いたしました。
  山岳寺が多く、以前は麓の駐車場から30分ほど急坂(石段)を上がってお参りをしておりましたが、今
は本堂の近くまで車用の登坂道が整備されスピード巡礼が出来るようになっておりました。楽になった分
お陰が薄くなったかも知れません・・・が。和歌山(3所)、大阪(4所)、奈良(5所)、京都(12所)、滋賀
(6所)、兵庫(5所)、岐阜(1所)と二府五県にまたがる巡路を、やっと平成20年4月に第33番札所の谷
汲山華厳寺(岐阜県)を参詣し3所の番外寺を含めて36所を足掛け28年、通算15日間で満願成就でき
ました。昔の人は約1000Kmの山道を150日かけて観音さん詣でをされたそうです。ただただ、世界の安
寧と先祖の供養、子孫の安泰を祈って参りました。特に印象に残ったお寺は道想会でも行きました第1番
札所・那智青岸渡寺(和歌山勝浦)、第28番札所・相成山相成寺(兵庫県宮津)、第30番札所・金剛山
竹生島宝厳寺(滋賀県琵琶湖)ですが、時たま納経帳を眺めては往時を偲びながら回って良かったと思
っております。
次回につづく・・・
次回は 1月10日更新予定・・・