17、仙台勤務時代(東北6県担当)
  仙台は地元山形県も担当地域に入っており一度行ってみたいと思っておりましたから早々と前任の林
さん(札幌営業所で洗濯機を担当していた先輩)と2〜3日で引継ぎ、正月早々家族を連れて転宅しまし
た。長女が幼稚園に入る時期で京都で入園が決まり用品類を揃えた後でしたが、仙台の借家の近くでプ
ロの絵描さんが経営しているエコノワール幼稚園に入れて貰う事が出来て一安心でした。
  仙台時代の約6年間は若手独身社員4名と女子社員1名の計6名で東北6県を担当し販売網拡大に
取組みました。北海道同様、占有率は全国平均よ
り上回っておりましたが全国NET代理店ルートの比
率が高く相手方の方針次第で実績が上下する傾向
がありました。その為、県毎に地域密着型の専業代
理店網を確立・強化することが急務でした。青森、
山形、福島の専業代理店開拓と岩手、秋田、宮城
は販売店組織の結成を目指す事になりました。青
森県は弘前市に本社、青森・八戸・大館(秋田)に
支店を開設しているFK社がターゲットで青森県
  東北時代 全国セールスコンテスト(入賞者と幹部との記念写真)
 (写真をクリック拡大)
NO.1の問屋さんでした。既に取引契約は締結されていましたが形だけで冨士電機との取引が主体となっ
ていました。社長は先代の奥様で、経営の実権は大番頭の副社長でした。社長の息子二人が専務と課長
で当方からの提案に理解を示してくれましたが、副社長が冨士寄りで説得するまでの折衝が続きました。
FK社特別対策で各種セールを継続実施し新たな成果が出始めてきました。そして空調、住設部門とも共
同で三洋グループ全体で取引拡大を推進した結果FK社の業容拡大に貢献出来るようになり徐々に有力
仕入メーカーとして訪問時の対応も変わってきて、弘前ねぷた祭りの際には本社前の特設ステージで他
の管材メーカーと伴に招待され歓待を受けることになりました。
  時おり弘前城近くの小料理屋さんで副社長の好きなホワイトホースのオンザロックで津軽弁を交えなが
ら夜更けまでお付合い頂ける様になり営業マンとしてのやり甲斐を感じた場面でもありました。
  山形県ではTOTOの代理店で山形本社で酒田・村山・南陽に営業所を開設しているSA社と新規に代
理店契約を締結しました。毎日のように仙台の自宅を6時に出発して営業所毎のトラックセールを実施しま
した。新しいルートをつくっていく活動が何ともこたえられない快感でした。
  名古屋が本社で東北営業統括部が仙台にあり郡山、秋田、盛岡、八戸に営業所を設置しているKS社
は東芝を主体に営業展開しておりました。約1年掛かりで統括部長を説得し、名古屋の本社で代理店取
引契約書を徴求した時には武者震いがしたものでした。KS社の特長はローカルの二次店(中間卸店、建
築金物・建材店)に強く一気に窓口が増えましたが同一物件での取り合いが激しくなりました。
  福島県では本社が福島市で郡山、会津若松、いわき、水戸、宇都宮に営業所を設けて衛生陶器が主
体のTA社と新規取引を開始した。少々派手にやりすぎて既存の代理店からクレームが出た。TA社とやる
なら取引を解消すると・・・・・暫らく中断しながらタイミングをみはかっらて中押しする。こういった時にヒット
商品が発売されると双方上手く活かせることになり前に弾んでいきます。当時はCFFが牽引車になりまし
た。特機部門の独立専門化から再統合の時代がはじまりポンプとガス厨房が合体して住宅設備機器鰍ノ
なりポンプルートで売れる商品は何でも売りました。夫々のチャンネルからユーザーへの購入支配力を高
めた時代でもあったと思います。
  新会社になって「全国セールスマン&係長コンテスト」が実施されました。上位入賞者は優秀セールス
マン大会で表彰される特典で私の部隊も全員で上位入賞を目指し必死に頑張りました。結果、セールス
マンの部で1位と3位に上位入賞し全員が目標100%以上達成して敢闘賞を受賞し、係長の部で小職が
1位になり面目を果たす事が出来ました。全員がTOPを狙う純真な気持ちでベクトルを合わせられた成果
でした・・・・・この本社企画コンテストは何故か一回だけで終わってしまいました。
  仙台にも元北海道の先輩が転勤して来られました。その都度「北海道は良かった・・・と異口同音」でし
た。浅川さん、市川さん、中井さん、黒川さん、丸中さん、遠藤さん等で個人的にもお世話になりました。
亡くなった黒川さんが宮城三洋の専務で来られてからは家族付合いをさせて頂き、時々焼肉パーテーを
してはお互い北海道を懐かしんでおりました。黒川さんご夫妻に大阪に転勤する前夜、送別会を催して頂
いた事が昨日のように思い出されます。6年ぶりに大阪本社勤務の辞令が出ました。
次回につづく・・・
次回は 1月 1日更新予定・・・