11、特機サービス
  サービス課は大通り西13丁目の4階建ての自社ビル(LEが入居していたビル)に商品課と同居してお
りました。有田さんが責任者で技術と部品の二体制で優秀な方々が沢山いて数年後に営業部門に転籍
するケースが多かったようです。私は特機札幌営業所の所属でしたが特機サービス担当という事でサー
ビス課に机を置かせて頂きました。主な仕事は@出張修理A社内修理B返品商品の受入検査C冷凍機
の巡回サービスでした。
直ぐに会社からお金を借りて運転免許を取る予
定でしたが巡回サービスの日程から12月〜2月
にかけて一番寒い時期に早朝の実習、夜の学科
と教習所に通って取得しました。それまでの出張
修理は自転車を使って行きました。後の荷台に
工具箱と部品を積んで厚別の酪農家に万能冷
水機の修理に行った事があります。国道12号線
を助手席に便乗して行った事があったのですが、
あんなにアップ&ダウンがあるとは知らずに「大丈
夫です。一人で行ってきます」と言って来たもの
特機サービス時代 レクリェーション 家族同伴(写真をクリック拡大)
の、やっとの思いで酪農家に着いて設置されている牛舎で修理です。直ぐ傍で乳牛が小便やら大便やら
かなりの音を立ててやりだす。飛沫が飛んできたりして落着かない修理でしたが循環ポンプと冷却ファンを
交換して修理完了しました。帰りは自転車に乗ったり降りて押したりクタクタになって帰ってきました。業務
用機器ですからまったなしのサービスが要求されます。免許を取った後はスクーターで出張修理です。
冬、電車道の線路上で一回転した事や、危機一発かなり危ないこともありました。
  冷凍機の巡回サービスは全道一円をコース別に一週間単位のローテーションで計画されました。
当初はJRやバス等の公共交通機関を利用しての出張で、一番効率よく廻るため時刻表を駆使して行程
を決めていきます。当時は炭鉱が未だ繁盛している時期で山深い天塩、羽幌、築別、雄別、尺別、赤平、
芦別、夕張の各炭山の炭鉱生協売店に3〜5台納入されており最有力顧客でした。大きな炭鉱では積出
し用の鉄道が開設されておりトロッコに毛の生えたような汽車に良く乗りましたが本数が少なく帰りは最寄
の駅まで汗だくで熊が出てきそうな草ぼうぼうの山道を歩きました。夜汽車で移動する時はデッキで小林
旭の「さすらい」を唄って気合を入れてました。宿泊出張の楽しみは安い木賃宿で泊まって浮いたお金で
地元の酒場で飲む酒です。小さい街ほど人情味豊かに接客してくれて田舎者の私の郷愁を誘うムードに
明日の英気を養ってくれました。1年で北海道の津々浦々を巡回し地元の人より地理には詳しくなり一層
北海道への愛着心が強くなりました。
  約1年の特機サービスから冷凍機販売担当に変り営業部員の一員としてスタートすることになります。
次回につづく・・・
次回は11月 1日更新予定・・・