9、クレーム対策と三洋電機への移籍
  入社して2週間程して新入社員10数名と2〜3年先輩5〜6人が江見工場長室に呼ばれました。
話によると新型のアイスクリームストッカーに採用したアクリル蓋が太陽光で変形し使用上の不具合が発生
しているのでガラス二重蓋に全数交換するという事。一斉対策要員として全国の拠点に派遣することにな
り君達が選抜されたので頑張って欲しいという事でした。早速、私は九州グループに編入されて4〜5人
で東京駅から夜行列車で福岡に向かいます。製造ラインでアキアキしていた自分は少々の不安はありま
したが新しい事への期待感の方が強かったと思います。特機福岡営業所では当時の谷本所長と岡田課
長(後の特機東京営業所所長)に出迎て頂き、私は大分地区の担当で大分三洋のサービス課にお世話
になることになりました。宿舎は会社の近くの福寿荘というアットホームな旅館でした。会社に行くと運転手
つきのハイヤーを用意してくれて一日分の訪問先リストと部品セットを貰って出発します。車種はブルーバ
ード乗用車でトランクと後部席に部品と工具を積んで訪問先に到着すると店主に部品交換の説明をして
ご了解を得て改良品との交換です。そんなに面倒な作業でなく運転手さん(50代)も手伝ってくれて順調
に進みました。一日の作業を前倒しで終わった後は最寄の観光地に連れてってもらいました。別府方面
では猿で有名な高崎山、県南では滝廉太郎の荒城の月の臼杵城址などです。遠隔地は宿泊で九重高
原に泊まったこともありました。お客さんとの会話は標準語ですが庄内弁しか話したことがない田舎者です
から標準語を話すのがとっても恥ずかしくて出来るだけ会話は避けるようにしておりました。二週間程で所
期の予定が終了したところで福岡に集結して谷本所長、岡田課長から手厚い慰労の食事会に招かれ、
元気一杯なお二人の会話に感激しました。お二人とは、その後もご一緒に仕事をさせて頂くことになりま
す。その席で皆さんは大阪の三洋電機本社に寄って帰る事になった・・・という事で大阪までの切符を渡さ
れました。本社では当時の特機営業部高野次長から全国の各営業所に特機サービス課を開設するので
皆さんは全国の出先に赴任して欲しい。皆の希望を聞いて赴任先を決めるので面接するとの事です。
私は何故か一番最後の順番で冷凍機企画課の荒田課長と業務課の萩原課長も同席されておりました。
  高野次長からの「君はどこを希望する」の問いに躊躇無く「北海道です」と答えました。一瞬の空白をお
いて荒田課長が「何で北海道に行きたいんや」と「叔父が戦前、北海道で仕事をしており雄大な自然とか
鮭の溯上の話などを聞いており若い時期に北海道で勤務してみたい」と答えたら「よっしゃ行ってくれる
か・決定や」高野次長の一声で決まりました。後で聞いたら北海道1名の計画に最後まで希望者がなく困
っていたら最後の最後に希望者が出たので良かったと。その晩の送別会を守口の料理屋で催してくれ
「君は北海道に行くんだからワシの傍に座れ」と高野次長の隣の上座に「家族は北海道というと外国のよう
に思っているかも知れないから1年に1回は帰って元気な姿を見せなさいよ」と言われたが・・・・・。
  コールドチェーン事業の創成期
  当時の古津課長(設計担当)が開発した二重アクリル蓋は画期的なものでした。前年一号機として発
売されたSCR-040(有効内容積40L)はメクラ蓋でお客さんが買いに来ると蓋を開けて中身を選んで買うと
いうパターンでしたが蓋を閉じたまま中身商品が見えて購買意欲が向上し、決めてから蓋を開閉すれば
良いというユーザーニーズを反映させた新製品でした。アクリル樹脂はガラスに比べて熱伝導率が低く省
エネ効果が高かったのですが実用面では変形や傷が付き易い欠点があり二重ガラス真空蓋に変ってい
き、中身商品の多品種化により容積も大型化になり入社時の62年型は一気に拡大されていきました。特
にSCR-122Pは60Lのエバポレーターが2個ペアーで組込まれた新しいデザインで大型小売店(当時の炭
鉱生協の売店には3〜4台納入されていました)には独占的に一番良いスペースに陣取っておりました。
  基になる技術開発を一から社内で研究・開発すよりも世界の最先端技術をどんどん導入したのもこの
時期です。GEからは二極式コンプレッサー、ウェーバー社からの大型ショーケース、クライスラーの大型
コンプレッサーなど進軍ラッパが高らかに鳴り響いておりました。
  日本の食文化の発展に貢献したのがコールドチェーンシステムで生産地から消費者まで鮮度管理を
徹底して安心・安全面で先導することになります。新しい技術の導入・実用化には大きな利益を生む反
面、品質の見極めをどの時点で決断するかが勝負どころでした。競合各社とのシェアー争いで新製品の
発売時期、価格などを探りながら他社よりも一歩先行することが要求されておりました。不幸にもクレーム
が発生した場合は迅速に一回で解決することが鉄則で、この処理が上手にされると逆に新たな信頼関係
が築かれますが間違うと大変です。2度3度と処理にてこずると折角の信頼関係がパアーになり取戻しの
付かない難しい事態になります。
  1ヶ月にも満たない新入社員が大分で体験した事が正に「こんなにクレーム処理にお金を掛けて大丈
夫なのだろうか(儲かっているのか)」という疑問でした。ハイヤーを雇ってでも徹底的に追跡して対策を講
じた事に関係先からの評価を得て事業拡大の糧にすることが出来たのです。その後は「巡回訪問サービ
ス」というかたちで新規納入先をクレームがなくても必ず訪問し運転診断や改良部品の交換など市場調査
を含めて実施することになります。大手食品メーカー(乳製品、飲料、水産、菓子など)との提携が強化さ
れ、食品衛生法改正も大きなフォローの風になりました。ハム、ソーセージ等の加工食品を含めた生鮮食
品の店頭保管は10℃以下にすることが義務づけられたのです。各地の保健所、商工会が窓口になって
導入の融資も含めて半強制的に短期間で食品小売店(雑貨店)に普及されていきました。絶好の商売チ
ャンスにいち早く対応してくれたのが函館の大興電機(函館三洋の母体会社でポンプ空調の代理店)で
す。渡島・檜山管内の地元電気工事店と電材商品を主体に取引を展開され官公庁との関係も良好で営
業窓口として最適なモデルケースでした。大興電機の営業課長と軽自動車で走り回り、面白いほど受注で
きた事に大変驚きました。提案商品も販売ルートもベストマッチングできると大きな販売力(ビッグパワー)
になる事を体験できた例です。
次回につづく・・・
次回は10月10日更新予定・・・