8、東京三洋電機に入社
  清水トンネルを過ぎると眠くなりましたがまんじりともしない内に熊谷駅に早朝到着し、駅前で食事をして
大泉行きのバスに乗って集合先の「いずみ寮(独身寮)」に向かいました。バスの窓から今まで見たことも無
いようなバカデカイ大きな建物が見えて来ました。東京三洋電機の工場群でした。その殆どは戦時中、戦
闘機を製造していた中島飛行機製作所の工場でした。戦後アメリカ軍が接収しておりました。兵士の宿
舎が「いずみ寮」として活用されておりました。そのため全てアメリカ方式でアメリカサイズでした。トイレが水
洗トイレの大きな洋便器で当初は便座にどうしても座ることが出来ず便器に登って和式同様しゃがんで用
を足しておりました。部屋はコンクリートフロアーのツインルームタイプで京都大学工学部卒の新入社員と
同室でした。部屋に着くとチッキで送ってあった荷物が届いておりました。パイプ式の大型ベットで、腰が高
くて上がるのにヨイショでした。ベットで寝た事が無かった私は落ち着かなく心配でしたが自分が落ちる前
に上掛布団が下に落ちて寒さで目覚める事になり布団をヒモでベットにくくって寝相が悪くても落ちないよう
に工夫しました。
  当時の社員の大半が独身者でしたから同じ敷
地内に5階建ての新しい寮が4〜5棟建っておりま
した。風呂は一度に100人位は入れるプールのよ
うな大浴場で端から端まで湯気で見えませんでし  
た。「凄い所に着たもんだ」がいつわざる実感でし
た。
  入社式は井植薫社長(三洋電機常務)、黒川
専務、倉橋取締役、井植敏取締役、江見取締役
が列席されました。
一連のセレモニーの後、テレビ・冷蔵庫・音響・
就職祝い (写真をクリック拡大)・・・
エアコン・半導体・冷凍機の工場を見学してから配属辞令を受けました。私の思いでは電気通信の卒業で
すからテレビか音響か半導体あたりかと思っておりましたが「冷凍機工場製造課」でした。工場長が江見取
締役で、翌日から冷凍理論などの講習を受けて製造ラインの実習です。
  ラインには前年新規参入したアイスクリームストッカーや牛乳用ショーケース(002タイプ)が流れており、
電動ドライバーで決められた箇所のビスとめ作業です。タッピングビスで断熱材やエスカッションをはめ込
んだ後のビスどめです。穴が合わないのが殆どでカリカリ苛立つ作業でしたが熟練者は上手に一気に締
め込んでおりました。
  「いつまでもこんな事をやらされたらたまらん」という気持ちになったのも事実です。母の「天職だと思っ
て・・・・・」が頭をよぎり、イライラとホームシックが混在した日が続きました。
次回につづく・・・・・・・・・
次回は10月 1日更新予定・・・・・・・・・