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趣味には麻雀、将棋、囲碁、競馬、パチンコ、ビリヤード等あるが、いずれも少々かじったものの頭が悪いのか勝負勘が鈍いのか、良い鴨にされるばかりですぐに止めるものが多かった。 昔から「ヘビ年生まれは博才なし」と言われている事がよく分かる。 入社した頃、釣りが好きな先輩が何人か居て、その人達に連れられあっちこっちの海岸に行っている中に釣りが段々面白くなって来た。決定的となったのは転勤した営業所の隣に釣具店があり、その店主と親しくなったのがきっかけとなり、店の主催する「釣り会」に入会して投げ釣り大会、船釣り大会にも参加、何度か好成績を収める様になって唯一の趣味となった。この様にのめり込んで行った釣りの趣味でも15年間ほど中断しゴルフに熱中する時期もあった。 そんな時の平成元年1月、癌のため膀胱摘出手術を受け、夢中になっていたゴルフがドクターストップになって、退院後は何もする事がなく退屈な毎日の連続だった。そんな中で昔の釣りを思い出し、2つの釣り倶楽部に入会して投げ釣りや遊魚船での釣りを15〜6年振りに再開した。投げ釣りでは北海道太平洋側の苫小牧、白老、室蘭、遠くはえりも岬から日高の海岸まで、日本海側では雄冬、白糸、遠くは岩内、弁慶岬、兜岩、瀬棚の海岸まで釣行をした。私は非力のためか仕掛けはよく飛んでも80メートルほど・・・そんな時、何処からかボートが現われ入れ食い状態で大きな魚を釣っている。目の前で見せ付けられて頭に血が上った。 「ヨッシ、俺もボートを買うぞ〜」と決めた。 船を操縦するには小型船舶操縦免許が必要だ。平成4年の夏頃から免許獲得のための勉強を始めた。試験には学科と実技があり、学科には一般常識、船舶概要、航海,機関の4教科、参考書を買い求め試験に備えた。釣り仲間2人が「受験料1,800円で合格出来るから受験しよう」という事になり、勉強する事もなく小樽の試験会場で3人揃って受験したものの、実技試験では3人共コース途中でスタート地点に戻される有様。自分より一人前の受験生が操縦中に出題される口頭質問が20問あり、質問の回答を考えている中に次から次へと質問され殆んど回答が出来ない。結果は3人とも不合格。「1,800円で合格しょう」と思ったのが大きな間違いで深く反省した。そんなことで大金10万円ほどの受講料を支払い小樽の船舶講習所に通い平成5年5月に待 ![]() 釣りのホームグランドは積丹そして石狩湾新港へ 積丹の余別、来岸、川白の漁港から船を出し神威岬や賽の河原の周辺を季節や釣る魚種によりポイントを変えながら釣りを楽しんだ。当初はGPSも無く、“山立て”で釣るポイントを決めていた。 “山立て”とは直線上に2点以上の目標物と横90度に1点、(90度の角度が取れない時は2点以上)“山立て”を行うには陸の景色が視える事が必須条件、霧が出て来ると難しくなる。釣りの最中にも濃霧になり5〜6m先が見えなくなる事も、何時間も晴れないと他の船と衝突しないか?潮に流されてとんでもない所に行かないか?出た港に帰れなくなるのでは?と、「遭難」の二文字が頭に浮かび大変心細くなった事が何度もある。それらに対処すべくGPSプロッター魚探と陸上や船舶間の通信も必要と痛感、無線通信機を購入し相棒「二美喜」に安全対策として設置した。無線機操作には免許が必要で「海上特殊無線技士3級」(VHS)と「アマチュア無線技士4級」の免許を取った。 ![]() 平成10年には船を出入れしていた港、余別、来岸で港の使用料を徴収する事となり、その代金の支払いには大変な手間と不便さから、船遊び拠点を積丹から石狩湾新港に移した。移動後の石狩湾新港では、漁師の方の船を引き上げに私の車に搭載したウインチでの引き上げ手伝いなどで漁師の皆さんとも仲良くなり、港に一番近い漁師さんからは「船を置くなら土地を貸すぞ〜」と言われ、相棒「二美喜」を格納するための艇庫を手造りした。 石狩湾は積丹に比べ釣りの魚種は少ないが、来て良かった事が二つある。一つは自宅から20〜30分と近い事、もう一つは新港を造る際に漁師は補償金を貰い漁業権を放棄している事である。私が得意としている蛸(タコ)を釣っても、漁師からも漁業組合からもお咎めなし。港によっては没収されることもあると聞くが、漁業権の無い港は北海道で唯一だと思う。北海道の蛸は水蛸で大きいものは30kgを超え、私の記録は最大で24.5kg、昨年は22.5kgであった。レギュラーサイズと言えば5〜8kgだが10kgを超えると海面から船に引き上げる時は蛸との格闘だ。蛸の足が少しでも船に触れると船底に逃げ込まれる。 魚の雄と雌 動物の外見での性別判断は頭に角があるか、体格の大小、容姿。鳥などでは羽の色や模様で雄と雌で判断できる。魚の世界、外見での性別判断ができるのは鮭系位で、鮭は比較的簡単に私は顔で判断できる。ごく稀に迷う時は背びれで判別、ほぼ100%の確率で選別できる自信はある。これも昔、余市の漁師の手伝いで鍛え上げた勘と云うものだろうか?一瞬に雄・雌を分け市場価格の高い雌鮭を出荷、昔は雄鮭は捨てていた。我々は網み起こし雄雌の選別作業のお手伝い賃として、雄鮭を貰って帰り「トバ」作りをしたものだ。最近は「トバ」作りが盛んになり雄鮭も捨てることも無い様だ。石狩湾でも10年ほど前から鰊(にしん)が獲れる様になり1月にもなると漁師も活気づく。 鰊の群来は1月初めから2月中頃と、3月末から4月末頃までの2回。産卵のため大群で押し寄せその様子は感動ものである。この鰊の雄・雌は外観からは全く判らない。漁師は雄・雌を分けて出荷のため一匹一匹を手に取り、腹を絞り白子か卵かで選別するので時間を要し大変、大漁の時はひと際忙しいこととなる。前記の鮭同様、鰊漁でもお手伝いに参戦、そのお手伝い賃として頂く鰊で正月の「数の子」にはこと欠かない。 私の得意とする蛸釣りの蛸も、雄は足8本の内1本だけ足先に吸盤が無くスーとしている。釣れる蛸はなぜか雄ばかりだが、20〜30匹に1匹の割合で雌蛸が釣れる。この雌蛸のお腹には蛸マンマ(蛸の卵)が入っていてこれが大変な美味、雌蛸が釣れた時は気分爽快になり何か儲けた気分になる。鮭をはじめ鱈(タラ)、助宋、鰊、など雌の方が圧倒的に価格が高い。最近女性の躍進が著しいのとどこか相通ずる。 平成13年4月に定年退職、その後4年間 ロジスティックスに契約社員として勤務、平成17年の退職後には毎日が日曜日となった。時間は十二分あるが歳なので無理をせず、釣りが趣味の73歳。これから何年海で遊べるか?体力の続く限り病気やケガをしない様に気を付け石狩湾を走り廻ろうと思っている。 これからも頼むぞ相棒「二美喜」 |