私の手術体験談
田端 義夫・・・・・・・・・・
 どこからか遠くの彼方から声がきこえてきた。そしてだんだんと大きくなってくる。
「おとうさん・・・おとうさん・・・おとうさん」しばらくするとハッキリと「お父さん」なんと目の前に見覚えのある妻
の顔があるではないか、早速にも返事をしょうと思うが口の中に太いパイプが入っていて声が出ないので目
で頷いて見せた。妻の小さな眼から大粒の涙がぽろりと落ちた。
 私のICUでの目覚めの瞬間である。
 私は、札幌勤務時代に同僚のSさんから誘われて山登りを始めた。最初の内は、7〜8合目が非常にキツ
くて俺は何でこんなしんどいことを・・・と思っていたが、そのうち、だんだんと慣れるにつれて山頂に立ったと
きの展望や爽快感に魅了されてすっかり山の虜になった。退職後北見に戻っててからも斜里岳、雌阿寒だ
けそして大雪山系の山々を毎月一山を目標に6月から9月まで登山に熱中した。また、冬は大好きなスキー
で若者たちと一緒になってゲレンデをとばしていた。
 それがあるとき突然に山から帰ったりスキーから帰ると血圧があがりだした。私は普段は血圧が低い方なの
で変だなと思い市内の内科医の診察を受けたがX線心電図ともに異常なしであった。安心して六ケ月が過ぎ
たある朝、ラジオ体操会に出て帰宅し朝食をとっていたら血圧が急上昇して倒れ救急車で日赤病院に搬送
され点滴を打たれ四、五時間後帰宅してよいと医師に云われた。そのとき出来るだけ早く循環器の専門医
に診察を受けるようにとアドバイスされたので近くのK医院にX線、CTスキャナーを撮った結果左肺下部に
黒い陰があるので呼吸器専門病院で精密検査の必要ありと診断された。
 道立病院の呼吸科に20日間の検査入院となったがその毎日の退屈なこと。何処も痛くも痒くもなし病院食
はうまい。外はまさに1年で一番よい季節。太陽は燦々と降り注ぎ緑一色絶好のゴルフ(パーク)日和。友達
は毎日来院してスコアの自慢話。
 いろいろな検査が終わりいよいよ最後の肺の生検となった。私は、今まで胃カメラは何度か経験はあるが、
肺カメラは初めて、そもそも肺の中にカメラが入るなんて恥ずかしながら知らなかった。ハッキリ云って二度と
飲むものではない。
 一週間後、生検センターから結果がきたので担当医まで来て下さいと看護婦が知らせて来た。私はいよい
よ無罪釈放かと喜び勇んで自家用車を自宅まで取りに行ってから指定時間に担当医の部屋に入り前に座
った。
 「田端さん左肺の下部に腫瘍が出来ているので摘出手術をすることに呼吸科として決定しました」と、いき
なり云われた。私は一瞬なにを云われたのか分からなかったので、ボォーとしていたら医師は私の顔を見て
もう一度同じ言葉を繰り返したらしい。
 退院の準備をしていたのに天国から地獄に突き落とされた感じでしばらく動けなかった。手術の経験のな
い私が手術、しかも肺摘出と云う大手術だ。しかし恐れてばかりもいられない、私は態勢を立て直し「先生そ
の腫瘍はガンでしょうか」先生はその質問には返事をせず、しばらくしてから「肉芽腫です」私は思った、や
はり本人には告知せずかと。「先生私は手術らしきものは全く未経験なので投薬で治療して下さい」「出来な
いことはありませんが手術が一番安全な治療方法です。それも出来るだけ早いほうが良いので家族の方と
一緒に手術担当医の説明を受けて下さい」私は担当医の部屋も病院の廊下もどうして歩いてきたのか頭の
中は真っ白でなにも考えられなかった。2〜3時間ほどして落ち着いてきたので妻に電話をする。意外にも
妻は冷静であった。女性は強しか。
 朝の9時に手術室に入る途中のエレベーターの中で手術担当の看護婦に今の心境を、一句出来たので
聞いてほしいと「秋空ゆそれではこれからキンチョール」(蝿と肺をとるでちょっと緊張しているとかけたのだ)
看護婦が笑っているのまでは覚えていたが・・・・・午後8時過ぎICUの中で目覚める。隣のベットでは今、
息を引き取った人が出された。
 私は酒もタバコも飲まないので回復が早いと医師が驚く。術後1ヶ月で退院。体重は入院時から10kg減の
53kgとなっていた。現在術後四年目である。医師は妻に早期発見なので大丈夫と思うが五年間で再発がな
ければ安心してよいと云っていたらしい。私の現在の日常生活を簡単にお話ししましょう。
 朝は5時起床(夏)10時就寝、冬は6時起床で10時就寝。食事は朝パン、昼はそばかうどん、夜はご飯1
杯、副食は野菜と果物、肉と魚は交互に週2〜3回、体重は65kgに戻った。
 今冬もゲレンデに四、50回一級取得後若干技術が向上したように思う。登山は肺のキャパシティか落ちた
ので出来なくなったので180度転回して日本舞踊(藤間流)を始めて3年目に2回市民会館で発表会をする。
男性は私一人のため仲間(OG)と踊るときは女装をする。
 ボランティアでは町内会長(98戸)老人くらぶ(25名)の会長。老人ホームの慰問等々。頭の体操として4年
制の老人大学(現在3年生)に週1回と現役時代と変わらぬ多忙を極めている次第です。
 みなさん人生は70歳からが花盛りです。何時コロッとさよならしても悔いのない毎日を元気で健康で過しま
しょう。しかし人生はサバイバル、お互いに死ぬまで元気でね。
 最後に洋友会北海道地区発足の記念に会報誌「洋友」掲載の機会を与えていただきました洋友会本部の
秦会長、北海道地区浜辺会長に感謝のお礼を申し上げます。有り難うございました。