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日本の名城めぐり紀行 |
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大江 康博・・・・ |
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平成22年10月18(月)〜21日(木)まで毎年恒例 |
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の城めぐりツアーに今年も行って来ました。私は何 |
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故か、お城が好きで若いころから現役を通して現在 |
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まで毎年日本の城めぐりツアーに出かけます。 |
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名古屋出身のため小さいとき郷土が誇る三英傑 |
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「織田信長」「豊臣秀吉」「徳川家康」が鎧武者など |
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総勢700人を従えて街を練り歩く「郷土英傑行列」 |
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を見に行き憧れと感動を受けた事が城好きの起因と |
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なっているかも知れません。名古屋城、清洲城、岡 |
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崎城など名古屋近郊の城を中心に日本の城めぐり |
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諏訪の浮城、高島城 |
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へと拡がっていき毎年機会があれば行った先で時間を調整して近郊の城を見て廻りました。 |
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一番効率良く城めぐり出来るのが旅行会社の城めぐりツアーに参加する事です。札幌に配属になってか |
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らは旅行会社の企画した日本城めぐりツアーに参加していましたが、姫路城、彦根城、熊本城、高知城など |
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の有名な城は殆ど見終わってしまい最近は見ていない城を一人でスケジュールを組み観光しています。 |
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今回は以前から是非観光したいと思っていた武田信玄の城、武田館(躑躅ケ崎館)、甲府城、諏訪氏の |
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支配地であった高島城、織田信長の城として有名な安土城、大政奉還が決議された二条城などを観光しま |
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した。 |
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10月18日(月)早朝自宅を出発。 |
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JAL、JR,バスと乗り継ぎ午後無事躑躅ケ崎館に到着した。躑躅ケ崎館跡は現在武田神社が創建されて |
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武田信玄が祭られている。館跡に立つと武田節の歌詞「人は石垣、人は城、情けは味方、仇は敵」で知る様 |
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に信玄の戦略的思想がわかるような気分になる。また神社社殿の東側には宝物殿があり武田氏ゆかりの |
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品々が納められている。神社には武田二十四将図もあり武田氏の栄枯盛衰が思い起こされました。館跡を |
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武田家存亡を思いながらゆっくりとひとめぐり境内は樹木が杜を作り、豊かな緑に包まれており周囲の堀、 |
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土塁等は当時のままで、戦国時代第一級の居館と賞賛される「躑躅ケ崎館」の往事を偲ばせるに十分でし |
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た。 |
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駅前に戻り徒歩10分で甲府城に到着。甲府城は武田氏が滅んだ後、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と |
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支配が変わり築城主浅野幸長氏が関ヶ原役後に和歌山転じ以後、徳川氏自ら領することとなり、三代将軍 |
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家光の弟忠長、六代将軍家宣、柳沢吉保などが城主となった城である。現在天守はなく本丸、二の丸の石 |
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垣、稲荷櫓、堀の一部が残り舞鶴公園となっている。平成16年稲荷櫓と鍛冶曲輪門など三つの門が復元さ |
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れている。翌日も早朝出発し午前中に高島城に到着。この地は諏訪神社の神領として、平安時代以降大祝 |
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(神官)諏訪氏の支配地であった。 |
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諏訪氏が武田氏に滅ぼされ武田氏滅亡後は織田信長が領し城代をおいたが信長は倒れ(本能寺の |
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変)、諏訪頼重の一族諏訪頼忠が旧領を回復し徳川家康に属した。その後、頼忠は上野総社に転封、豊臣 |
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秀吉の臣、日根野高吉が二万八千石でこの地を領し、旧城を廃して現城跡に慶長三年(1598)竣工したと |
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言われている。 |
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高吉の子吉明は下野壬生に移され、総社より頼忠の子諏訪永が故地に復封し高島城に入り諏訪郡二万 |
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八千石を与えられ、後に三万石を領して十代相継ぎ明治に至っている。現在は本丸跡が高島公園となり櫻 |
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の名所として知られるが、残されていた天守台に外観 |
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復元された天守がそびえている。この城は一見規模は |
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小さくても諏訪湖を利用した要害堅固な浮城であっ |
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た。北東から見た本丸天守と水堀の景観は見事な調 |
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和があり昔日の姿を思い出す事が出来る。 |
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3日目はJR安土駅到着後、駅前で自転車をレン |
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タルし10分で安土城に到着した。安土城はわずか三 |
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年でその姿を消した壮麗な七重天守のあった天下人 |
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織田信長の城である。安土城大手道から左右に前田 |
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利家邸跡や豊臣秀吉邸跡を見ながら徒歩で30分ほ |
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躑躅ケ崎館跡は現在武田神社が創建されて武田信玄が祭られている |
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どかけて天守跡に到着する。 |
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天守跡の石垣から眺める景色(琵琶湖)は晴天のためか壮大で幽寂な感じもあり素晴らしく圧倒的な感 |
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動受けたのは生涯忘れられないだろう。天守跡を降りた後、蘇った幻の名城安土城天守のある信長の館に |
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行きました。信長の館には原寸大にて復元された安土城天守五・六階部分があり天界をイメージした五階 |
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黄金の間と内部の障壁画は見ごたえのある素晴らしい天守で信長の偉大さを再認識するとともに安土城に |
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来て大変良かったと実感しました。 |
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4日目は二条城を見学。 |
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二条城は慶長七年(1602)上洛の際に将軍の居館とするために徳川家康が機内の大名に造営費を課 |
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し築いた城であり壮大な規模と格式を誇る国宝二条城二の丸御殿、広間に展開する障壁画は見る者を圧 |
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倒する。幕府直属の城として城番を置いたが、慶応三年(1867)一五代将軍慶喜はここに諸侯を集め大政 |
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奉還を決議して幕府の終幕となった城でもある。 |
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今回は念願であった躑躅ケ崎館(武田神社)と安土城を観光出来大変満足出来た旅になりました。毎年 |
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恒例で日本の城めぐりをしていますが今後も健康に留意して体力の続く限り継続したいと思っております。 |
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