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| もうすぐ秋祭り |
| 巻 衛・・・・ |
|  | 家の近くに上野幌神社という小さな神社がある。 |
| 以前は正月の初詣や、抽選で記念品が当たるのを |
| 楽しみに秋祭りの余興を見物に行く程度で、宗教に |
| はほとんど関心の無かった私だが、八年前知人より |
| 神社の仕事を手伝って欲しいと頼まれ、少しでも役 |
| に立つのであればと思い引き受け、現在も活動を |
| 続けている。 |
| 私がこの地に越して来たのは二十数年前だが、 |
| 当地域は明治十八年来の移住開拓地であり、この |
| 社は当時九州からの移住者の方が九州の山の神を |
| 祀って、野津幌川の左端に小さな祠を建て、参拝していたのが始まりと聞いている。 |
| その後明治二十二年に現在の場所に社が建てられ、大正・昭和・平成と何度か建物は新しくなったが、 |
| 神職(神主)が常駐していない為、地域の役員皆の力で運営している神社である。 |
| 役員として参加してみると神社の運営には様々な仕事があることが分かった。その中で自分に与えられ |
| た役割をしっかり果たすことで、無事行事が終了した時の喜びは大きい。 |
| 私は昨年まで総務と篤志寄付集めを担当していたが、現役時代は総務・経理の管理部門に籍を置いて |
| いた為、総務の仕事には長年の経験を生かすことが出来たと思う。篤志寄付集めは地域の会社・商店・医 |
| 院等、個人以外を訪問して寄付をお願いするものだが、私は全体の九割の訪問先を担当していた為、その |
| 成果が神社運営資金に大きく影響を及ぼすことと成るので、責任重大だと感じていた。自分では前年度実 |
| 績以上を目標に、毎年自分なりに工夫を重ね頑張った。ここ三年間は前年以上の寄付を集めることが出来 |
| たが、不況の中、地域の会社の数も徐々に減って行く状況では苦労も多く、目標を達成出来た時の喜びは |
| ひとしおであった。 |
| 秋祭りは、以前は毎年九月十五日の敬老の日と決まっていたが、祝日法改正により五年前から敬老の |
| 日は第三月曜日となり、年によっては下旬までずれ込んでしまうことになってしまった。秋の早い札幌では |
| 寒くならないうちに実施したいということで、ここ数年は九月の第二土曜日を宵宮祭、翌日を本祭としている。 |
| しかし、毎年何日が秋祭りなのかが判りづらいとの声もあり、難しい問題だ。 |
| お祭りの行事の一つに子供神輿がある。地域を三つに分け、それぞれの出発地から小学三年生以上の |
| 児童が三十名ずつ神輿を担いで町内を四km以上練り歩くのだ。私は今年から地区担当の役員に代わった |
| ので、この子供神輿も担当することとなるが、他の役員と共に一丸となり、雨・寒さ対策や交通事故等に充分 |
| 注意して実施したい。 |
| 私の田舎では秋祭りには獅子舞があり、子供は花笠をかぶり、化粧をし、笛・太鼓で祭りを盛り上げてい |
| たが、来年は私の出番という時に衣装・道具一式を保管していた家から出火し全て焼失してしまった為、翌 |
| 年の獅子舞は中止という悲しい思い出があるので、特に子供達にとって楽しい思い出が残る秋祭りにしたい |
| と考えている。 |
|  | 秋祭りが終わるとすぐ正月が来る。神社は小高い |
| 丘の中腹にあり、冬は坂道や四十段程の階段は雪 |
| でとても滑りやすくなっている。初詣では多くの方が |
| 参拝に来られるので、雪の上に砂を撒いて足元が |
| 滑らないよう、毎年注意を払っている。正月三箇日 |
| は役員が交代でお札やお守り、おみくじ等を頒布、 |
| 私は毎年大晦日の二十一時より元旦五時まで社務 |
| 所に詰める担当になっており、元旦の0時には太鼓 |
| を打ち鳴らす役目もある。 |
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| もの皆な改まる年の初めにお参りをすることで、地域の人それぞれが、誓いも新たに清々しい気持ちで、 |
| 力強く新年の第一歩を踏み出せるよう、私も微力ながら自分の役割を果たして行きたいと思う。 |
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