私の一病息災
久保 洋一・・・・・・
  直近の統計によると日本人の平均寿命は80・6歳だと言う。60歳で定年を迎えるとして約20年と
いう年月を自分の人生の仕上げ期間として持てることはとても夢のあることだと思う。
 この貴重な20年間を年齢相応にハツラツと輝いて様々な事柄にチャレンジしながら楽しく生きるか、
または持病に苦しみながら食べたいものも食べられず、見たいものも見られずに病院のお世話にな
りながら過ごすかによって折角与えられた20年の価値が大きく違ってくると思う。
私がこのことを痛切に感じたのは持病の糖尿病治療のために2回目の教育入院をした時のことであ
る。教育入院は糖尿病の治療が正しく行える様に患者とその家族が医師、看護師、栄養士から教育
を受けて糖尿病のあらゆることについて知識を持ち、食事療法のやり方を身につけ糖尿病の諸検査
の意味を理解するために行われている。
  最初の教育入院は平成3年の2月。私はここで糖尿病の本質や合併症の怖さを知り、今までの
自分の認識の安易さを大いに反省することになった。
退院後、食事療法と薬物療法で2、3年はコントロールの良い状態が続いたがそのうち、教育入院で
学んだ初心を忘れ、大食い、早食いの癖も加わってだんだん元の状態に戻っていった。
ついに健康診断でイエローカード。体重70キロ、血糖値257、ヘモグロビンエーワンC7・5%まで悪
化していた。主治医のS先生のおすすめもあって平成12年2月に2回目の教育入院をすることになる。
  2回目の教育入院で、あと2年で迎える退職後のことを真剣に考えた。網膜症で失明し、腎臓をや
られて人工透析をし、そのうえ血管が悪くなって心筋梗塞や脳梗塞を起こして命取りになる。そんな悲
惨な状況にだけはなりたくないと。よし、退院したら今まで出来ないと考え実行しなかったウォーキング
を始めるぞと決意した。さて問題は、いつ歩くか、どうやって継続するかである。
まず、平日は通勤の仕方を変えた。家を30分早く出て、地下鉄の二つ手前駅で下車、会社までの約
25分を歩く事にした。運動療法を行うためには適当な距離である。歩幅を広く、つま先でけり出し、
かかとから着地、背骨を伸ばしてあごを引き、腕を自然に振りながら歩くと言う基本を意識して歩いた。
朝の空気を吸い込みながら歩く大通り公園は気分爽快、ストレスの解消にも役立った。歩き始めてまも
なくポケットラジオを購入。大通り公園をFM放送で政治経済スポーツなどの情報と音楽を聴きながら
歩くのが楽しみになった。夜は帰宅時間が早い時だけ週に2、3日、食後に30分間歩いた。
  食事も工夫した。朝と夜はできるだけ野菜を多く取るように心がけた。食べる順序はまず野菜から。
こうすることにより満腹感が早く感じられトータルのカロリーを抑えることができる。
  そんな努力の甲斐があって退院後1年を経過した時には血糖値が常に120以下、ヘモグロビンエ
ーワンCは目標値の6%を大きく下回る5・3〜5・5%と安定し、S先生からお褒めをいただくまで
に改善できていた。
  今年の一月無事定年退職の日を迎えた。
いよいよ新しい人生のスタート。日課の中に最優先で朝30分、夜30分のウォーキングを組み入れた。
退職祝いに娘たちから贈られたユニホームとシューズ。朝はFM放送を聞きながら、夜はMDプレー
ヤーで音楽を聞きながら歩くのが楽しい。教育入院の時に読んだ本で「一病息災」という言葉に出会
った。もともとは無病息災と言ったものだが社会全体が高齢化してきた現在、無病の人などほんの一
握りしかいない。ひとつの病気が悪くならないように養生することによりほかの成人病にならないように
する。つまり糖尿病になっても合併症を引き起こさないようにコントロールをすればいいのである。
 「どんなドラマでも最後の幕が一番実があり感動的なものだ」これは最近読んだ「老いてこそ人生・
石原慎太郎著」の一節である。
新しい人生のスタート台に立った今、最後の幕が上がるまでにはまだ10年はある。
自分にあった仕事を見つけて社会貢献もしたい。妻との共通の趣味である家庭菜園やガーデニング、
旅行も楽したい。そして70歳になったら人生と言う劇場の最後の幕をたっぷり味わっていけるように、
糖尿病と上手に付き合いながら充実した日々を送りたいと思う。