開拓使大判官
      「松本十郎を称える会」の活動について        
                      北海道地区  安達 均(72)        
故郷の仲間と札幌山形県人会の活動に携わって20年ほどになります。 今は、昨年10月に設立した「開拓使大判官松本十郎を称える会」の取り組み最中です。 松本十郎についてはインターネット検索でかなりの情報を得ることができますが、活動の趣旨や十郎翁の事績等について簡単にご紹介させて頂きます。 松本十郎は、庄内藩士の出身で新政府に抜擢され、明治天皇勅命で開拓判官(正五位)に任じられ明治2年に根室に着任しました。以来、質実剛健のもと、漁業を中心とした経済活動を先導して数々の成果を上げ、余裕のある財政運営と明るい将来を展望した、開拓行政を実現するに至りました。その高い実績を黒田清隆長官が評価し明治6年に開拓使全般を統括する、
開拓使大判官に任命されました。 膨大な財政赤字を解消すべく、積極果敢な綱紀粛正や効果的な財政投融資により殖産振興を強力推進し、短期間で財政を再建するなど幾多の功績を残されました。中でも明治8年6月から100日あまりで、旧庄内藩士156人による21万坪の荒れ地(桑園地区)を見事に開拓し、桑の苗を植え大規模養蚕事業を導入して勧業政策の長期的発展に大きく寄与しました。 また、根室判官時代からアイヌの織ったアツシの上着を愛用し「アツシ判官」と呼ばれ、アイヌの擁護に尽力しましたが、樺太アイヌの処遇方法で黒田長官と意見が対立し、職を賭して説得に努めたが聞き入れられず、辞表を提出して、一切の官職を辞して晴耕雨読の余生を送りました。 大判官として開拓初期の礎を築き、大活躍した札幌周辺には十郎翁の遺徳を偲ぶものが何一つありません。そこで十郎翁没後100年(平成28年)を記念して「松本十郎を称える会」を結成し、故郷の先達者に心から尊崇の念を表して功績を称える事業をお輿し、後世に 継承したいと計画しております。9月下旬の記念事業に向けて、会員の募集活動を展開中ですが、幅広い方々のご賛同とご加入を得て開催できれば有り難いと願っております 。